眼鏡箱

写真と長くなりそうな話の物置

廃線跡と街道を伝い碓氷峠を超える

以前二輪車で超えた碓氷峠を、今度は徒歩で通過した話(やや長め)。

 

前回碓氷峠を超えた際、めがね橋などを通る廃線跡の「アプトの道」を見かけ、次に来るときは歩いてみたいと思っており今回実行することにしたのだが、どうせならそのまま旧街道で峠を超えるのも面白そうと深く考えず行ってみることにした。なお、今回のお供は手軽なコンデジ

 

 

前回。

 

 

と言うわけで、まずは高崎駅から信越本線で終点の横川駅まで。今回は道中歩くのもあって、公共交通機関による移動とした。

 

横川駅に到着し、前回来た際覗いた鉄道文化むらを横目に行程スタート。この日は梅雨だというのに朝から暑く、道中は結構大変になりそうだった。

 

関所跡も今回は軽く眺めるにとどめ、その付近から始まる廃線跡へ。

 

この道は、廃線となった信越本線の横川駅から軽井沢間の上り線の途中までを舗装、整備して遊歩道としており、このように埋められた線路の上を歩いていける。なお、左に見える線路は下り線跡で、先ほどの鉄道文化むらからトロッコ列車に乗って通ることができる。

 

現役時代の設備が多く残っており、それらを見るだけでも結構楽しい。

 

上信越自動車道を超える。

 

そして見えてくる遺構は、重要文化財の丸山変電所跡。鉄道の電化から新線開通までの間使用された施設との事。

 

更に進んでいくと、トロッコ列車の終点である「とうげのゆ駅」にたどり着く。ここから線路跡は新線と旧線に分岐し、遊歩道は旧線を進む形になっている。なお、新線跡もイベントなどで歩くことができるらしい。

 

とうげのゆ駅を過ぎると、トンネルや煉瓦の橋が続く道になる。

 

道中で、以前寄り道した碓氷湖と坂本ダムも少し顔を覗かせる。

 

 

トンネルをいくつかくぐり、ようやくめがね橋へ到着。下まで降りて写真を撮ろうかとも思ったが、一度見ているのもあってそのまま先へ進むことに。

 

引き続きトンネルの続く道を進み、

 

「アプトの道」の終点、折り返しである熊ノ平駅に到着。白い建物は重要文化財の熊ノ平変電所。

 

ここまで順調にアプトの道を踏破し、ここからは旧街道である中山道を進むつもりだったのだが、出発前に地図を見てすぐ近くから繋がっていると思っていたところ、先ほどのめがね橋付近まで戻る必要がある事が判明し、踵を返して来た道を戻る羽目になってしまった。

 

というわけで来た道を足早に戻り、めがね橋から見える新線跡の橋へ向けて進むことに。

 

めがね橋脇を下り、小川沿いに国道と反対方向へ。

 

先程の橋をくぐってさらに進む。

 

そして中山道への入り口があり、ここからは普通の登山道のような道になっていく。ちなみに少し調べた感じだと、この道は明治天皇の御巡幸の際に新たに整備された道の一部らしい。

 

ここからはつづら折りの登山道を右へ左へ進み高度を上げていくのだが、途中二箇所程沢と言うほどでもない水の流れによるぬかるみを跨ぐ場所があり、スニーカーだったのもあってなるべく避けて進もうとした際に踏んだ落ち葉が結構深く積もっていて、嫌な予感がしたので足元を見てみると、見事に大量のヒルに捕まっていた。そういえばそういう季節だったなと後悔しながら、しばらくはひたすら靴と靴下に付いたヒルを引きはがす作業に追われた。その後も時々靴を脱いでは同様の作業を繰り返したが、残念ながら二匹ほどに深く噛まれて、その日の夜は入浴中に結構な出血に見舞われる事になってしまった。

 

 

閑話休題。先の惨劇もあり道中全く写真を撮影していなかったのだが、ようやく中山道と合流できた所で一枚。

 

中山道に入ると、このような看板がいくつかあり、往年の街道の姿を想像できたりして楽しい。

 

道の大部分は比較的幅広く街道感があるが、一部は自然の浸食によりよくある登山道に近い状態になっている。とは言えかなり歩きやすいのは確かで、ちょっとしたトレッキングもしくはハイキングに丁度いい道になっている。

 

今見るとちょっとした峠茶屋の跡の様だが、学校がある位賑やかだった時期もあるというのが面白く、想像だけでなくその時の風景を見てみたかったりもする。

 

昔は今ほど栄養状態も良くなく、頑強でない多くの人々にとっては峠一つ越えるのもかなり危険な事だったのだろうなと思う。

 

途中には別荘なのか宿なのか、いくつか比較的新しい建物があった。まだ人気のある場所までは遠いが、これらが作られた時はこの付近まである程度の人通りがあったのだろうか。

 

子持山の脇を通過すると分岐があり何となく遠回りの方を選んだが、こちらは中山道ではなく林道もしくは作業道とのこと。とはいえ元々は、孝明天皇の妹である和宮が第十四代将軍徳川家茂の下に嫁ぐ際に使用された皇女和宮降嫁道、というらしく、それなりに由緒正しい道なのかもしれない。

 

なだらかになった道を進み、目的地である旧碓氷峠まであと少しの場所にある水源地。

 

そしてようやく旧碓氷峠に到着し、熊野神社に参詣して峠越えを達成した。

 

この神社は丁度長野県と群馬県の県境にあるらしい。

 

展望も良い場所だったらしいが、この日は残念ながら雲に隠れてしまっていた。

 

手遅れ。

 

最近は特に意図せず長野・群馬の境に出かける事が多かった気がする。それほど混雑しないが昔から一定の人の営みと歴史があり、見どころが多いのが惹かれる所かも知れない。

 

 

先の県境は峠近くにあった見晴台にあり、このように連なる山々がとても良い景色になっていた。

 

最後は遊歩道を伝って旧軽井沢まで降り、軽井沢駅からバスで横川駅まで戻ってこの日の行程は終了となった。余談だが、旧碓氷峠に出た時もいきなり多くの人々がいて驚いたが、旧軽井沢に至っては歩くのも難儀する人出で、伊達に避暑・観光地をやっていないなと感心しつつ人込みに辟易しつつ足早に通り抜けた。観光客側としては汗と泥とヒルにまみれた人間の方が忌避したい所だろうが。

 

といった所で、今回は徒歩で碓氷峠を超えることができた。中山道のみでの峠越えも面白そうであり、今回寄れなかった宿場など他にも見どころはありそうだったので、またいつか来たいと思う。しかし、最近はあまり山に行けていなかったので忘れていたが、やはり山歩きは冬の方が良いと血痕を見ながら改めて痛感した日だった。

 

 

珍しく出先での昼食をとった軽井沢駅前のお店。奮発した天ざるそばが美味しかった。