山歩きに適した時期になってきたが、最近めっきり山に足が伸びなくなってしまった。昨今の情勢に加えて個人的にも多忙がちになり、その間にモチベーションが低下してしまったのが主因であるが、せっかくの秋晴れに引きこもっているのももったいなく感じたので、リハビリがてらちょっと歩いてきた。
ということで、やってきたのは身延山。身延町周辺や身延山自体は何度か来たことがあるが、徒歩で登ったことはまだなかったのでちょっとした散歩気分で歩いてみることにした。
今回は整備された参道だろうということで、GPSなどは特に準備せず荷物も最低限、頂上のロープウェイ周辺で何か飲食すればいいだろうとお菓子のみで出発することにした。
それほど標高は高くないが、ところどころ秋らしい色が見られたので、色々写真を撮りながらゆっくり歩いた。今回は特に何も考えず歩き始め、結果として裏参道から登るルートに。
時間もまだ早かったので太陽が画角内に入ってきてしまったが、せっかくなので絞って光芒を出してみた。レンズの逆光耐性は特に強いわけではなく、プロテクトフィルターを付けていることもあり結構なゴーストが出てしまったが、風景等ではあまり気にしないタイプなので結構好みの写りになったと思っている。
舗装道路ができたからか、若干荒廃している参道と鳥居。一枚目の、若干下った所にあるもう一つの鳥居がなければ、二枚目の鳥居はなぜここにあるのかを理解できなかったかもしれない。
さて、この鳥居の先には願満社、もしくは願満稲荷大菩薩があり、地図上ではその先は点線で示された登山道らしきものがある。少し手前で分岐したもう一つの道は自動車の通れそうな道だったので後年作られた林業道路と思い、直線的なこちらのルートを選択して登っていった。しかし、願満社から先の道が見つからず、参道とは言えあまり使われないものだからかと携帯電話の地図ソフトを参考に先を行くことにした。そうして進んでいくと、登山道のような道は確かにあるがあまり整備されているとは言えず、斜面の中腹を進む道に張られたロープや杭はかなり流れていて雲行きが怪しい道になっていく。
やがて斜面にできた谷状の地形に出くわし、先の通り杭も流れていて掴まる草木も少なく、砂利のような地面と一緒に斜面の下、要するに川に流れていきそうになりながら何度か通過する羽目になってしまった。
何とかこの地形を超えると、小さな砂防の構築物と朽ちた橋の残骸、それとかなり以前に切ったであろう切り株が現れたが道らしきものはなく、やはりこれは廃道だったのだろうとようやく気付くに至った。切られたままの木々をまたぎつつしばらく登ると、ようやく整備された林道のような場所に出た。そこからすぐ近くにおそらく現在の正規ルートがあり、電柱なども見えたのでほっと一息つくことができた。軽装とは言え服装自体はいつもの山歩きスタイルで、携帯電話にもオフラインで使用可能(今回は圏外ではなかったが)な地図ソフトを複数インストールしていたので何とかなったが、低山で油断するとこういうことも時たまあるので注意するに越したことはないと改めて思った次第だった。
参考までに周辺案内図。道はもちろん未記載で、結局追分感井坊付近で合流した。
というわけで、序盤はひどい登りになってしまったが、正規のルートと合流してからは参道なだけあって普通の道路であり、少し歩いて無事頂上の奥之院にたどり着くことができた。
頂上はすでに昼時だったのでそれなりに混んでいたが、せっかくなのでと初めて団子を食べた。串切り団子というそうで、串の下端を切る=苦死を切るとの事。
ここからは通常の参道を下ったが、若干急で足に負担は来るものの、先ほどの廃道とは比べ物にならない快適な道を軽快に降りていくことができた。
参道を進む方向だが、狭いがある程度整備された道と電柱で、何となく「隣の集落への道」といった趣。
遠かったのでかなりのトリミングだが、初めてリスを撮影できた。時折見かけても即座に走り去っていき、なかなか近づかせてもらえない。
このような感じ歩きつつあっという間に久遠寺本堂に到着。最近は日も落ちるのが早く山の麓になる久遠寺周辺はすぐに冷え込んでしまうので早々に引き上げよう……と思ったが、お土産を探しつつもう少しだけ歩いてから帰路についた。
しかし、改めて見るとどこに行ったのか分かる写真がほとんどないことに気付く。何度か来ているので気にしなかったがもう少し撮っておけばよかった。